高麗恵子のアンドロメダエチオピアコーヒー物語

 
 

エチオピアへの旅 2005年4月


2001年11月10日に開催しました、いだきしん「天命」コンサート後、2度目のエチオピアを訪ねる旅に胸がときめき、何かがはじまる予感に、緊張しながらも嬉しい気持ちで楽しみながら向かいました。コンサート前、エチオピア各地の撮影の旅の過酷さは表現し尽せぬものがあり、エチオピアへ行く事を楽しみと感じながら旅の準備をしたのは、今回がはじめてでした今回は、中国、北京に一泊し、北京からアジスアベバ行きの飛行機に乗る予定です。折りしも上海、北京にて反日デモが起こり、中国への旅は緊張しました。今年3月にレバノンへ行った時も、最大規模のデモのど真中に居合わせる巡り合わせとなり、今年は、その様な巡り合わせになっていることを受け止め、覚悟し、出発しました。新しい状況を作る為に生き、活動している事を身にしみわかる経験をしたばかりでしたので、状況を作れる人間とし中国、エチオピアへ向かえることをありがたく感じます。出発前、私は世界情勢に過剰に反応し、体を痛め動けなくなってしまった時、いだきしん先生から「状況を作る為に生きていることをわかれば良い」とはっきり言われ、深く考え、抜け出し、やっと動ける様になったばかりでした。

 アジスアベバの空港に到着しすぐにトラブルが起き、再び困難を乗り越えるエチオピアでの日々がスタートしました。日本においては、内面豊かに生きていると、全ては順調に進み、恵まれ、幸運の連続で良い結果が生まれます。エチオピアにおいては、内面豊かに生きていても、取り巻く環境が日本の状況とは全く違いますので、何とかしていかなければ、何ひとつ進んでいかない事を目の当たりに見ることの連続です。トラブルを乗り越え次に向かい、又、トラブル、困難に遭遇し、何とかしていくのです。空港到着後、3時間近く経ち、やっとホテルに辿り着けました。翌日10時、ソマリ州知事はじめ、関係者とのミーティングがはじまりました。はるばるジジガやゴデからアジスアベバまで出向いてきて下さいました。

 私達は、2000年8月に初めて家畜も死ぬという干ばつの地ゴデに行った時に出会った子供達の純粋な美しい瞳を忘れる事なく活動しています。日本に居ながら出来る事とし、エチオピアビルケナシュ基金を発足し、毎日、朝一番に自分の決めた金額、10円、100円、千円と貯金箱に入れるのです。つり銭や余ったお金ではなく、自分の気持ちの表現とし始め、死ぬまで続ける気持ちでスタートしました。水の問題は、ずっと取り組んできましたが、ソマリ州の政情が不安定である理由から、なかなか前に進めずにいました。この間、毎日の様に人は亡くなっていくのです。日本でも水の事を調査し、一番良い方法を探し続けていました。多くの人は井戸を掘る事をまず考えるのですが、その水は人体に害を及ぼす水である事が新たな問題になっているのです。安全な水をいかに多く作り出せるかが課題です。今回、現地で浄水ポンプを作る提案を持っていきました。海外援助にて送られてくる浄水装置等はほとんど、5年間のメンテナンス期間を終えると、そのまま使えなくなってしまう話を聞いていました。現地で作れれば新しい産業ともなり、これ程ありがたい事はないと大変喜んで頂きました。夕食を共にし、今度こそ進める事を何度も確認し、良いミーティングとなりました。

 翌日、アンドロメダエチオピアコーヒー、ヤルガッチャフェが生産される地域に向かいました。車で4〜5時間と聞いていましたが、8時間かかりました。途中、大きな牛が車に激突し、車が壊れました。が、何とか走れる状態でしたので、引き続き向かいました。天高く、空気は澄み、自然のエネルギーがあふれる地 ヤルガッチャフェのふるさとでした。いるだけで元気が生まれる素晴らしい地です。ヤルガッチャフェは、ナチュラルコーヒーで、森の中で生まれ育ちます。バナナ等と共に育つのです。緑の粒のコーヒー豆が一杯ついている木を見る度、喜びが生まれます。自然の恵み、天からの賜り物であるコーヒーを世界に伝えるという気持ちが生まれます。


( Photo by IDAKI SHIN : Click to enlarge )

 車のタイヤがパンクしてしまい、たくさんの人が手伝ってくれ、交換しようとしている時、叩きつける様な雨に見舞われました。小屋に避難し、人の声が消えてしまう程の大きな雨の音を聞きながら、私は、心静かに内面に問いかけました。困難の連続でやっと辿り着き、タイヤがパンクし、動きを止められ、大雨により更に動きを止められました。この大雨を通し、天は何を私に伝えているのでしょう…と、天の声を必死で聞こうとしたのです。日本を発つ時、私は、どんな事があろうとも全ては天が私に与えてくれるメッセージとし受け止めようと心を決めたのです。ヤルガッチャフェの森の中にいる時、天の恵みであるコーヒーを全世界に伝える事で人を助け、世界の役に立つ事を感じました。

 エチオピアとの出会いは、1999年、干ばつによる飢餓で1000万人の人々が生命の危機に瀕するというニュースを聞いた時からはじまりました。エチオピア政府の人は、「飢餓は社会の仕組みの問題であり、社会の仕組みの改善なくして飢餓の問題は解決しない。一番して欲しいのは社会の仕組みの改善」と、はっきりおっしゃいました。私は体中が熱くなり、胸が高鳴り、何とかしたい気持ちで一杯でした。社会は人間が作りますから人間の内面の変化なくして社会は変えられないと私が常々お伝えしている事と合意し、人間の内面の変化の経験の機会とし、2001年11月10日首都アジスアベバにて、いだきしん「天命」コンサートを開催したのです。聴衆11万人、テレビにて同時生放送、インターネットにて全世界同時配信により、世界中の人々と人類発祥の地エチオピアから新しい愛の人類史のはじまりのコンサートを分かち合えたのです。内面が愛に満たされ幸せだったと、大変喜ばれました。そしてコーヒービジネスがはじまったのです。エチオピアはコーヒー発祥の地でもありました。森から生まれますので100%ナチュラルコーヒーで、自然環境を破壊する事がありません。現地では薬の様に飲まれています。新鮮な香りを嗅ぐだけで心臓に良いとも聞きました。胃腸のはたらきが良くなることも聞いています。現地では、最上質のコーヒー豆である事を誇りと感じていますが、エチオピアの名が表に出ることはなく、他の豆とブレンドされる事もあり、誇り高い最上質のエチオピアコーヒーがそのまま市場に出る事はないことを、大変残念に思っています。

 NPO高麗では「そのまま伝えてほしい」「搾取のないビジネスこそが貧困の解決である」との要望により、利益は農民に還元する仕組み作りと、アンドロメダエチオピアコーヒーのブランド作りを考え、今やっと第一歩がはじまったのです。それらの経緯を思い起こし内面に問いかけている時、10才の時「世界を変える」という気持ちが生まれた時の事が、まざまざと蘇ってきたのです。「アフリカでは飢餓に苦しむ人々が多く、水も食べ物もなく死んでいく人が多い」と聞き、大変驚き、心痛み、何とかしたい気持ちでいてもたってもいられなかったのです。エチオピアとの出会いは、10才の時であったのです。自分の気持ちからエチオピアへ来ることがはじまったことに気づいたのです。天が与えてくれる道を歩もうと生きてきましたが、自分の本音の表現なのです。本音は、神との出会いの音と聞いておりましたが、正に本音の表現が、今現実に形になってきたのです。多くの困難に遭遇する度、正直何故こんな目に遭わなければならないのかという思いがよぎる時があります。誰かにやらされているように思い、何かのせいにしたくなる時があります。全ては自分の本音からはじまっている事だとわかった時、誰がやらせている訳でもなく、自分からはじめていたと、はっきりわかり、何かのせいにする自分の愚かさ、弱さに笑ってしまいました。大地を叩きつける大雨の音が気持ちよく、愚かな自分が一掃されていくさわやかな風が吹くのです。

 雨が止み、タイヤ交換の作業が再開しました。赤土はぬかるみ、皆、泥だらけとなり、足をとられながらの作業となりました。ジャッキがない為、木を使ったり、土を掘ったり、何人もの人で車を持ち上げたりで、やっと交換が出来たのです。道具に頼り生きてきた日本での生活が当たり前になっていた私にとり、皆で工夫し何とかしていく動き方が大変楽しく感動しました。車に乗り込み発車したものの、土がぬかり、坂道となり、車はスリップしとても動けるものではありませんでした。大勢の人が押したり、ロープで引っ張ったり、土をスコップで耕したり、たった1キロの道を3時間かかり抜け出したのです。天に問うことも、内面を感じる余裕も無くなっていました。必死でした。もう一歩の所で、何度も稲妻が光り、再び大雨に見舞われる不安で一杯になった時、無事車が走れるようになり、喜びました。天は、祈る対象ではなく、共にある事をわからせてくれた大変尊い経験をさせて戴きました。暗闇の中を延々と8時間走り続け、深夜3時半にやっとアジスアベバに帰って来れたのです。何とかすることを体で覚えたヤルガッチャフェのふるさとを訪ねる旅に感謝します。

高麗恵子

戻る