アンドロメダエチオピアコーヒーは、エチオピアモカ100%。コーヒー発祥の地 エチオピアの森が育てた野生のコーヒーの自然の恵みをお届けします。






エチオピアのヤギ「ヤギ飼いカルディの話」

6世紀のエチオピア高原が舞台です。
昔むかし、本当に昔の話です。アフリカのエチオピアという国に、カルディというヤギ飼いの若者がいました。カルディの仕事は、山の麓に生える草を、ヤギたちがムシャムシャ食べるのを、どこかへ行ってしまわないように見守ることでした。

そこの山には、綺麗な小さくて白い花を咲かせる木がたくさんはえていました。カルディがその花の香りを嗅いでみると、まるでジャスミンのような快い香りがします。その花はやがて緑色の実をつけ、その実はだんだん色が消えて黄色くなり、そして少しずつ赤味をおび、最後には真っ赤に染まります。緑鮮やかな葉っぱと木の枝にビッシリとついた赤い実を眺めているだけで気分が楽しくなります。

カルディはいつものようにヤギたちを連れ、山を散歩しているとヤギたちがその赤い実をムシャムシャ食べ、楽しそうに飛び跳ねています。いつもはヨボヨボのおじいさんのヤギまでが、若い頃のように走り回っています。これはどうしたことだろう?とカルディは思いました。そして、よし!試しに自分も食べてみようと思い、その木から赤い実を一粒採ってみました。そして恐る恐る口に入れて噛んでみると中から甘い汁が出てきて、中には種も入っています。それもコリコリと噛んでみました。するとどうでしょう、急に元気になり体が弾みます。ヤギたちも元気に飛び跳ねています。それ以来、カルディと山羊たちは毎日、その赤い実を食べては踊りながら山々を散歩しました。

そんな姿を近くの修道院のお坊さんが見て、真似をしてその赤い実を食べてみました。すると、疲れきった自分の体の中を爽快な気分が走り抜けるのを感じました。それ以来そのお坊さんは、夜のお祈りで眠い時にその実を煎じて飲んだということてす。

コーヒーの原産地エチオピアでは、“煎じ出し”のことをqahwa(カフワ)と言い、後にアラビア語で“飲み物”を指すようになる。そして、それがトルコに伝わり、ヨーロッパに広がったとされています。 ★(カフワ -> カファ -> カフェ)

 


10世紀初頭、アラビアの医師ラーゼスが残した記録には、パンと呼ばれる乾燥したコーヒーの実を砕いて水に浸して煎じ、バンカムと呼んで医薬にしていたと書かれています。
その100年後に医学者で哲学者のアビセンナがバンカムについて、やはり「薬用」だと書き残しています。その後長い間、コーヒーはイスラム教寺院の中だけに門外不出の秘薬として伝えられていきます。夜通し行う宗教儀式の前に眠気を払う「霊薬」として飲まれたのです。

豆を煎じて飲むようになったのはおそらく偶然で、13世紀頃からといわれています。1454年になって、初めて一般信者にその存在が知らされると、寺院の周りはコーヒーの露店で溢れかえり、人々はお祈りの前にコーヒーを儀式的に飲むようになりました。
それからメッカ、カイロ、ダマスカスへと伝わっていき、1554年には世界最古のコーヒー店「カーネス」がコンスタンチノープルにつくられています。
コーヒーのあまりの人気に賛否両論が起こり、ついにメッカの地方長官カイル・ペイが、「コーヒー禁止令」を発布して最初のコーヒー弾圧をしましたが、当時のエジプト国王サルタン自身が大のコーヒー好き。それを知って激怒し、すぐさま禁止令を撤回して「コーヒーを飲むのはコーランの教えや宗教上の罪悪にはならない。」と宣言しました。
以後、コーヒー弾圧は何度か繰り返されます。それだけコーヒーに魅せられる人々が多かったということでしょう。

こうして16世紀中頃にはトルコへ、その後ヨーロッパへと上陸していきます。
1615年のベネチアを皮切りに、ヨーロッパ全土へとコーヒーは浸透していきます。
それはもの凄い勢いでしたから、当然各地で摩擦が起こりました。ローマでも、イスラム教徒の飲物をキリスト教徒が飲むのはどうか?と、賛否両論が持ち上がります。当時の法王クレメンス8世は、「悪魔の飲物と言われるのにこんなにおいしい。これをイスラム教徒に独占させておくのはもったいない。」と、コーヒーに洗礼を施してキリスト教徒の飲物として受け入れました。
イギリスではコーヒー・ハウスが数多くつくられ、紳士の社交場として人気を博しました。
男たちはここで政治を語り、文学を論じ、ビジネスを展開しました。

当時コーヒー・ハウスに入れるのは男性だけで、中には家に帰らず入り浸る男たちも現れる始末。そこで1674年にはコーヒー・ハウスの閉鎖を求める主婦たちの「嘆願書」が提出されています。
フランスにもトルコ・コーヒーが伝わります。
トルコの大使が1669年にルイ14世に献上したのが始まりです。
コーヒーはフランス上流社会をも魅了して、やがてサロンが数多くつくられ、新しい文学や哲学、芸術も生まれました。その波は一般市民にも及んで、溢れるほどの街角のカフェを生み出していきます。
特に1688年に誕生した「カフェ・プロコプ」にはヴォンテールやルソー、バルザックなどの文化人たちが次々に集い、知的サロンとしてにぎわいました。
やがてイタリアでエスプレッソが、フランスでドリップ式が考案され、コーヒーを飲むスタイルも変化していきます。
これだけもてはやされたコーヒーですから、その栽培に興味を持った人たちもたくさんいました。
13世紀にはメッカへの巡礼者たちが大量の生豆を持ち出し、それが各地に植えられ、17世紀にもインド人のババ・ブータンがイスラム巡礼の際に、メッカからコーヒーの実を盗み出して南インドのマイソールに植えています。
また、18世紀前半にはフランス海軍の将校ド・クリューが自分の飲み水を注いでコーヒーの苗木を守り、フランス領マルチニーク島に運んだという話が残っています。
これがやがて中南米へと広まっていきます。
こうしてコーヒーの栽培も世界各地に拡大していったのです。


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